96歳のばあちゃんのこれから
敬老の日、香里ケ丘の施設にいるばあちゃんに会いに来た。
コロナの波がある度に面会禁止になっており、
なかなか会えなかったので、半年ぶりかもしれない。
96歳のばあちゃんは、
長寿家系と思っていた吉村家の中でも一番長生きしてくれている。
「嫌われる年寄りやなく、好かれるかわいいばあちゃんになるねん」
「ぼちぼち生きたらええねん」
以前うつになってしまってから無理せず生きているばあちゃんは、
仲間からも、施設員の人々からもいつも人気者だ。
この日もいつもと変わらない笑顔で迎えてくれたばあちゃんに声をかけた
「ばあちゃん、わかるか?」
「あんた誰や?」
あれ?いつもと違う。。。。
「ばあちゃん、わかるか?」
「わからん・・・」
仏壇の前のじいちゃんの遺影を指さして、
「ばあちゃん、誰かかわる?」
「知らん・・・」
でも、笑顔だ(^^;)
母から聞いていたが、
近々のことはもうあまり覚えることができないらしい。
近々といっても、この50年ぐらいだが。
戦時中のこと、私が生まれる昔のことはよく覚えている。
結局、長女のことも、嫁さんのことも、
親父(実の息子)のことも、誰もわからなかったが、
いつも定期的に看病に来ている母のことだけはわかっていた。
でも、ばあちゃんは終始ニコニコして、言葉をかけてくれ、笑顔だ。
「ばあちゃん、もう思い出せへんのかな。なんか辛いというか、寂しいな」
帰り際、高齢者を見届けてきた経験のある妻が言った。
「人間って、みなこうなっていくねん。
でも、元気でいてほしいって思うのは、家族のエゴで、本人は笑っていたら幸せなんやから、いっしょに笑ってあげたらいいねんで」
言葉が深すぎて、すぐには理解できなかった。
昔に戻らなくても、また会えるだけでも幸せ。
ばあちゃんの笑顔みているだけでも、私も幸せな気持ち。
帰りの運転中、それだけでもいいだと思えるようになった。